■日本国危急のとき生長の家大神についてご指導、昭和15年、名古屋市公会堂

 

 昭和15年、皇紀2600年の祝祭が執り行われた年、日本を取り巻く国際環境が一段と厳しさをまし、その翌年には米英との間に戦争状態に入り大東亜戦争が勃発した年でもあった。

 

 谷口雅春先生は、名古屋市公会堂において、生長の家大神について詳しく指導され、人類の光明化運動に参加した数千人の聴衆に、多大の感銘を与えた。

名古屋市公会堂で先生のご講演に聴き入る6,500名の受講生(昭和15年)
名古屋市公会堂で先生のご講演に聴き入る6,500名の受講生(昭和15年)

■大戦後、廃墟の中で活発な教化活動

 

○昭和22年には、谷口雅春先生ご講演会

 

 大戦により、昭和20年5月中区南新町の名古屋教化部が焼失するなど名古屋市内は一面焼け野原となった。

 

 その廃墟の中から信徒は立ち上がったが、大戦直後の昭和21年中は教化部事務所が定まらず、中区流川町の長屋を始め数カ所を転々とした。昭和22年始め、満仲宏氏の新築建物の一室を借りたことにより、やっと教化部事務所が定まったのである。

 

 昭和22年3月1日、谷口雅春先生が神戸から船に乗って上京される途次、特にお願いし、名古屋から戦後初めて特別講習会が開かれ、約100名が参加した。

 

 この年の5月には、岡崎、名古屋で本格的な講習会が始まった。当時の「生長の家」誌で、谷口雅春先生は「満中君や渡辺君の名古屋教化部建設の熱願にこたえて、講習会中にその再建の拠出を一言すると勿ち浄財が4800円も集まったのは、此ら純情の青年の熱意に感激せしめられた結果だと思われる。この調子でのびると名古屋の今後の光明化拡大は素晴らしい物があると思う」と期待されている。

 

 その後、教化部事務所は昭和23年の初め、伊藤護一氏宅(北区東大曽根町)に移り、昭和24年教化部が新築されるまで、ここを拠点に活発な活動が行われた。

 

 また、昭和23年6月26日~28日に開かれた名古屋での谷口雅春先生ご講習会の期間中に先生をお迎えし、全日本生長の家青年会東海連合の結成式が行われた。会長に小路金藏氏が選出され、日本の再建と世界平和実現を誓い合った。

 

生長の家愛知県教化部会館 落慶祈念 P18~P19より抜粋