【今月の教化部長の言葉】令和3年11月

「つんどく」「よんどく」「功(く)徳(どく)」

教化部長 鈴木幸利

 

 

 実りの秋になりました。 この季節になると天地の恵に感謝するお祭りが各地で行われますが、コロナの影響で中止になるところも多いようです。 私の住んでいる地区のお祭りも残念ながら中止となりました。 私は常会長という役をやっていますが、お祭りに関する仕事として子供獅子のお世話というのがあります。 参加してくれる子供達にはっぴを配ったり、あらかじめご近所からご祝儀を集めたり、当日は八幡社でご祈祷を受けた後、子供獅子を先導して家々を回り、最後は休憩所として自宅を解放して飲み物やお菓子を配り、ご祝儀をわたすという内容で、代々受け継がれてきた獅子頭も預かっています。 ところが昨年に続き今年もお祭りは中止となってしまい、預かった獅子頭は2年も日の目を見ないまま木箱の中で眠っています。 なんだか申し訳なく思え、虫干しも兼ねてしばらくの間わが家の玄関に飾ることにしました。 50年以上も地域の子どもたちに寄り添い、見守り続けてくれた獅子頭は施された金色がすり切れているものの愛嬌のあるいい顔をしています。 昔は私の息子達も獅子頭の後ろについて「 わっしょい、わっしょい 」と言いながら歩きました。 そしてご祝儀やお菓子を貰ってにこにこ顔をしていました。 子ども獅子に参加したたくさんの子供達が成長して、地域のため社会のため、また家族のために働くようになりました。 かつてはみんなから守られてきた子供達が今度は守る立場へと成長していったのです。

 

 

 さて、生長の家でよく耳にする「 つんどく 」という言葉をご存じでしょうか。「 真理の言葉が書いてある書物を読まなくても、本棚に積んでおくだけで真理の波動に護られしあわせになれる 」という意味です。 けれども私たちはいつまでも守られてばかりで良いのでしょうか。 聖典に書いてあることを読んで自分なりに感じたり考えたりしながらやがてその言葉が自分の口から出て、誰かを救っていく。 または行いが誰かの心を動かすような人にならなければと思います。 身近に本を置いてゆっくりで良いので、数行ずつ「 ここには何が書いてあるのか 」と確認しながら、一語一語をかみしめて読んでみましょう。 解らないことや疑問に思ったことなどは講師にどんどん質問しましょう。 人の問いに答えるということは、とても良い勉強になります。 人にわかりやすく説明しようとするためには、何度も読み直したり、深く考えたり、言葉を選んだり、何より自分自身が納得しなければ人に説明しても伝わりませんからね。 又、次の世まで持って行ける真理は自分が「 なる程 」と自分で納得( 自覚 )出来たものだけです。 思考を充分重ね、その思考を「 行じて 」納得が出来たものだけが自分のものになるのです。 いくら「 つんどく 」で真理の書物に守られているとはいえ、亡くなる時には書物は持って行けません。 昨今では葬儀会社も棺桶の中に入れる物は諸事情により制限されることがあるので聖典の中の言葉を自分のものにしてしまうのが一番ですね。 積極的に真理を探究していきましょう。 そして、「 つんどく 」から「 よんどく 」へ、さらにはそれを周りの人にお伝えする「 功徳 」へと神化させていきましょう。

 

 

 11月22日は、創始者谷口雅春先生のご生誕記念日です。

 

 

 新版『 幸福を招く365章 』のはしがきには「 私の文章は人類を何処までも幸福にしたいと云う祈りが一句一句に籠めて書かれているのである。 徒言や冗談や、ただの学説や、ただの随筆ではないのである。 人類を悉く幸福にしたいと云う熱願が籠められているために「 法語 」と云うような多少宗教的匂いがするのは止むを得ない。 けれども此の書の読者は、屹度かならず、読まぬ前より読んだ後は、何らかの点で、生活の仕方や、人生の考え方で幸福になるにちがいないと信ずる 」と書かれています。

 

 

 この先生の熱願に応えるためにも、私たちは今一度感謝を込めて一字一句味わいながら聖典を熟読いたしましょう。