【今月の教化部長の言葉】令和2年11月

神の子力をアップしよう

教化部長 鈴木幸利

 

 

 今年も実りの秋を迎えました。 五穀豊穣を神様に感謝申し上げ、人々の働きを労う全国各地のお祭もコロナ禍により相次いで中止され少々寂しい晩秋です。

 

 

 今年はねずみ年、漢字は「 子 」という字で表します。 子の成り立ちは「 了 」おわりと「 一 」はじまり、すなわち、この一年は今まであったものが終焉を迎え、次の新しいものが始まるということです。 世界中に蔓延した新型コロナウイルスは、私たちに今までの価値観ではいけないということを告げ、仕事や生活を見直す必要があると警告しています。 生きるとはどういうことか、何のために仕事をするのか、コロナ禍の中で気づかされたことを踏まえて、社会は少しずつ変わろうとしています。

 

 

 しかし得体の知れない不安や言葉にならない暗を抱えて、フトしたことを引き金に自らの命を絶ってしまう人も出ています。 あるご婦人が氏神様にお参りに行く途中、シルバーカーを引いたおばあさんに会いました。 そのおばあさんとは顔見知り程度だったのですが、「 今日はいい天気ですね 」から始まって気がついたら一時間近く立ち話をしていたそうです。 別にこれといった内容の話でもなかったけれど、おしゃべりして気持ちが晴れてその日は一日中楽しい気分で過ごせたと話しておられました。 長引く自粛生活の中でいつのまにか心の中にオリのようなものが溜まっているのかもしれません。 月に一度集まって誌友会をする、顔を見ておしゃべりして笑いあって真理の勉強をするというコミュニティがいかに大きな役割を果たしているかあらためて考えさせられました。

 

 

 闇雲に不安を煽るのではなく、永遠に変わらないものと時代の変化によって形を変えていくものがあるという、実相と現象の教えが今こそ必要とされていると思います。 現象は無い、あるのは実相のみという唯神実相論はあまりにも奥が深く生涯かけて学んでいくものです。 私たちはその過程で味わう感動やよろこびをどんどん発信してまわりの人たちを幸せに導いていきましょう。

 

 

 さて、八月の白鳩会ネットフォーラム講演会で私は自作の紙芝居の舞台を紹介しました。 妻はたまに紙芝居を作るのですが、四つ切りのケント紙を使うので市販の舞台ではサイズが合わなくて入りません。 この絵の大きさに合った舞台が欲しいと頼まれました。 紙芝居の枠のことを舞台といいます。 市販の舞台は前面に扉があって、デザイン性のある曲線で上と左右に開くように三ヵ所に曲線の切り込みが入れてあります。 切り込みの中央にはあおり止めの掛け金具がついています。 最初は枠だけでいいからと言っていたのですが、市販の舞台を参考にしながら製作していくうちに、三方に開く扉は、ただの飾りではなくて、舞台を安定させるために重要な役目を果たしていることが分かったのです。 遊び心がありながら、機能性にもすぐれている、よく考えられていると思いました。 さらに問題はもう一つあって、四つ切りよりも大きいサイズの紙芝居もあるので、どうせ作るならその二種類のどちらにも使えるようにしたいと思いました。 試行錯誤を重ねた結果出来上がったのがあの舞台です。 先人の知恵を真似して作りながらも次々に起こってくる失敗や問題に頭を抱え、ある種のひらめきによって、完成へと進んでいくプロセスがものづくりのおもしろさかもしれません。

 

 

  物事を成功させるには色々の条件を精細に検討し、計画的に堅実なる基礎の上に実行していかなくてはなりません。 適当なことをやっていて「 神さま、神さまあとはお願いします 」的な放漫は、本当の信仰ではなく、単に責任を神に負わすところの卑怯なる「 怠慢 」です。 単なる思いつきや勘を神様の思召しだなどと考えてはなりません。

 

 

 コロナ禍の今だからこそ三正行をじっくり実践し、身の回りに起こる事や人や物の奥にある拡散されている神性を見ようとする習慣をつけて、神の子力をどんどんアップしていきましょう。