【今月の教化部長の言葉】令和2年7月

禍転じて

教化部長 鈴木幸利

 

 

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、四月七日に発令された緊急事態宣言も五月二十五日をもって解除されました。 これからは予防対策をしっかり取りながら社会生活や経済を動かしていく段階に入っていきます。

 

 六月からは少人数で集まる誌友会等を再開するところも出てきました。 この三ヶ月で一気に広まったオンライン生活ですが、最初は自宅に居ながらにしてコミュニケーションが取れることが新鮮に感じられましたが、細かいところまではなかなか伝わりにくいという問題も出て来ています。 実際に顔を合わせて話すことに勝るものはありません。 言葉なき言葉をきくことが大事です。 口では大丈夫と言っていても、目が不安そうだったり、後ろ姿が寂しそうだったり、人は気がつかないうちに身体からいろいろなメッセージを発信しているのです。 それを察知して一番必要としている言葉をかけてあげる。 そのためには、じかに顔を見て話すことが必要なのです。

 

 さて、「 おにぎりオヤジのひとりごと 」見ていただいていますか。 今回この収録をしてあらためて思ったことが二つあります。 まず一つ目は聞いてくれる人が目の前にいないと話しにくいと云うことです。 元来私は身振り手振りも大きく、黒板も使い、みなさんの顔を見ながら話すと、内からどんどん話しの材料が湧き出てくるのです。 ところがじっとイスにすわったまま、画面の向こうに居るであろうみなさんの顔を想像しながら話すのでは調子がまったく出ない。 やっぱりみなさんと会ってのびのびと話したいと思いつつ、収録の最中に突然柱時計のメロディが流れ出して始めからやり直したりとおにぎりオヤジも苦労しております。

 

 もう一つは、聞いてくれるみなさんが私を育ててくれたということです。 かっての私は、小学校の通知表に「 いるかいないかわからない子です 」と書かれていたくらいおとなしい子でした。 本部にいたころも、講話の順番が回って来ないように、出張で忙しいからと逃げ回っていたくらい、人前で話すのは苦手でした。 ところが今や、いるかいないかすぐ分かる、しゃべり出したら止まらない。 こんな私に誰がした。 というような変わりようです。

 

 私がはじめて愛知教区で講話をしたときの話しです。 何とか無事に講話も終わりほっと緊張が緩んだところへ、一人のご婦人がやってきて「 先生、今日のお話良かったわー 」と声をかけて下さいました。 私はうれしくなって「 どこが良かったですか 」と聞くと「 声が大きくて良く聞こえたわー 」内容じゃなかったのかとがっかりしました。 後になってみればこの言葉は基本の基、講話することで一番大切なことを教えてくれていたのです。 どんなに良い話しでも、声が小さかったり、聞き取りにくかったりすると聞いている人は疲れてしまいます。 大きくはつきり聞こえるということは一番大切な事なのです。 私はそのお墨付きをもらったのですが、当時は人を感動させる話しこそ値打ちがあると気負っていましたので、素直によろこべなくて申し訳ないことでした。 私の内なるパワーが全開するのは、笑って、拍手してくださる聞き上手なみなさん有ってこそだとつくづく思いました。 人の話を聞くというのは観世音菩薩の働きと同じです。 観世音とは世の中の音を観ると書きます。 音すなわち人の声を耳で聞いて心の目で観るということです。

 

 自粛生活が続いて人と会うことが極端に少なくなり、話しを聞いてもらいたいという思いを貯め込んでいる人は大勢います。 まずは誌友会がその受け皿になればいいなと思っています。 みなさんの地元で出来るところからでかまいませんので、充分、感染防止対策、三密にならないよう考慮して誌友会等を再開して下さい。コロナ禍という言葉を新聞やネットニュースなどで目にしてますが、禍転じて福となす。 これが私たちに与えられた使命です。 決まり次第お知らせいたします。