【今月の教化部長の言葉】平成28年6月

生き通しの生命

 

 

         教化部長 濵山正幸

 

 

 谷口雅春大聖師著『 生命の實相 』第九巻( 霊界篇 上 )に、人間の死に関して高級霊ヴェッテリニが次のように述べていると書かれている・・・・・・・・・、

 

 

 問い - 災難によって突然変死するような場合があるが、常にこれはあらかじめ決定されていることであるか?時には偶然の死というようなことはないか?

 ヴェッテリニの答え - 「 偶然の死は一つもない。 死は常に定められた事情の下に、あらかじめ定められた日時におこる。 」

            ( 同書 一一三頁 )

 

 

 この記述については、かつて拝読していたので承知していた。  しかし・・・・・・・・・いま何故、このようなことを書くのかと言えば、去る三月二日、白鳩会愛知教区連合会事務局長の鈴木千里さんが急逝されたからである。 現職の事務局長を亡くすというのは尋常なことではないのである。

 それにしても「 体調が優れない 」とお聞きしていたところ、一転して「 意識がない 」との連絡、そして・・・「 亡くなられた 」と。

 あまりにも突然で、またあまりにもあっけない。 「 死は常に定められた事情の下に、あらかじめ定められた日時におこる 」としたとしても、どうしてそんなに急いで行く必要があるのか、と心の整理が付きかねていた。

 そのような時、普及誌『 白鳩 』四月号が届いた。 なんと、この四月号の「 白鳩歌壇 」に鈴木さんご本人が投稿しておられ、しかもその歌が入選歌として評されている。 次のような歌である・・・・・・・・・、

 

 

 この父と この母ありて 我はあり

 この子等 ありてまた我はあり

 

 

 選者 ・ 小島ゆかりさんの「 評 」は、次のとおりである・・・・・・、

 

 

 存在の意味と人生の本質に、まっすぐ届くような歌である。 上句と下句の二つの「 我 」は、互いに照らし合ってそれぞれの意味を深める。 大らかなリズムも魅力的。 

 

 

 鈴木さんがこの歌を投稿した時、投稿歌が入選し『 白鳩 』誌上に掲載される。  しかしその時、自身は此の世を去って霊界に移行している、等と思ってのことだろうか?

 そんな思いに駆られながらの冒頭の『 生命の實相 』第九巻の記述である。 そしてそうであれば、入選歌の率直な印象それはまさに、ご両親に、また愛する家族に捧げる鈴木さんご自身の「 辞世 」の歌ではないかと。

 それ故に、人生の最終章を見事に締めくくられた鈴木千里さんの御霊に対し、ここに生前のご活躍に深甚の感謝を捧げつつ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 梅雨空を晴れて見せたり自由人

 

 

 さて、生長の家の教えるところでは「 人間は肉体にあらず、死んでも死なない永遠生き通しの生命 」と言う。 この教示は、当人にとってもまた遺族にとっても絶対の救いと思うのである。 とりわけ家族を失った者の悲しみを思えばなおさらである。

 近親者を亡くすということは、教えがどうであれ、実際、そんなに簡単に割り切れるものではないと思う。 しかし、真理は絶対である。 「 人間は死んでも死なない、永遠生き通しの生命 」であると。

 私自身も、父を霊界に送って以降、位牌を通して父と語り合うことが多い。 呼びかけると、いつも其処に父がいるように身近に感じるのである。

  肉体は消失したけれども故人は、今、まさに此処にいるのである、と思えることは救いであると。