【今月の教化部長の言葉】平成27年11月


人間は「キンピラ」を作る

教化部長 濵山正幸

 

 読書の功徳、書籍から得るもの・・・・・・、それは計り知れないものがあると思っている。

 一冊の書籍を書くために、著者が時間をかけて資料やデータを蒐集し、そして考えたことが結果、書籍になる。 それを通常、千数百円ほどで手に入れることができる。 問題は、その考え方をそのまま鵜呑みにするか、それを参考にしつつ自分の考えに昇華させるか、だと思う。 それだから私は、時間を見いだしては本を読むことにしている。

 最近、轡田隆史氏著『 「 考える力 」をつける本2 』( 三笠書房刊、1~3巻シリーズ )を読んだ。 読み手を、一気に引き込んで行く文章力に魅せられた。 同書のサブタイトルにある「 『 自分の考え 」をどう深め、どう実践するか? 』から、私たち信仰する者にも参考になるのでは、と思われる箇所を紹介したいと思う。

 それは、著者がある集まりで次のような質問を受けたとする記述からである・・・・・・・・・、


 

 ある集まりで、こんな質問を受けた。

 「 昨今の社会の、この閉塞状況から抜け出るために、企業はなにをしたらいいのでしょうか?」

 経済にまったく疎いわたしに対して、一体なんというおかど違いの質問であることか。 いささか呆然としたのだけれど、なにごとについても楽観的なわたしである。 しかも、そのような状態は、なにも社会だけに限ったことではない。 一人の人間にとっても、家庭にとっても、学校においてもいえること。 即座に、こう答えた。

 「 たった一つ道があります。それは『 閉塞状況 』という言葉を、一切使わないことであります 」

 今度は、質問した側が呆然となる番であった。 笑おうにも笑えないとでもいうような表情になった。

(同書 三頁~四頁)


 

 長い引用ですが、何か感じるものはありませんか。 生長の家では「 コトバは神なり 」と学んでいる筈です。 それでいて「 閉塞状況 」を連想する言葉、案外、使っていませんか。 挙げてみれば「 大変だ 」「 困った 」とか、「 忙しい 」さらに「 そんなこと出来ない 」「 無理だ 」等でしょうか。

 著者は言います「 言葉というものは、使い方を間違うと、ときに逃避になります 」と、全く同感です。 要するに自分自身の発する言葉が、結果、自分を縛り問題の解決を先延ばしにしている訳ですから。

 人生では、日々、様々に生じる事柄に対して、誰しもが敢然とぶつかってゆかなければならない時が必ずあるもの。 その時に「 閉塞状況 」という言葉で一括りにしてしまう安易さ。 これでは何事も解決は出来ないし、何も学ぶこともないだろう。 私たちの先人たちはこの「 閉塞状況 」なるものに、敢然と立ち向かいその状況を乗り越えてきたのである。 その先人たちの遺伝子が、私たちの内に脈々と受け継がれていることは確かなのである。


 

 力士なら めざすは上ぞ 霜柱


 

 ところで著者である轡田氏、面白いことを言っている。 例えば「 神はゴボウ、ニンジンを創り、人間はキンピラを作る 」と。 さて、これから何を学ぶかである。

 神が創った物には、不完全なものは何一つ無いが、仮にゴボウとニンジンを「 大変なこと 」「 困ったこと 」と仮定するとする。 そこに、人間の知恵と愛と生命力とが加われば、実に美味しい“ キンピラ ”が出来る、と考え方を引き上げるとどうだろう。

 この知恵と愛と生命力、これらの活かし方を学ぶのが信仰だとすると、生長の家の私たちは、実に有り難く恵まれた人生を歩ませて貰っていることが分かるのである。

 総じて、人生は「 何かを学び試行する旅の途上 」と、思うのである。