【今月の教化部長の言葉】平成27年7月


連続する命への感謝


教化部長 濵山正幸


 五月の連休の最中、どこへ出かけても混雑渋滞が待ち受けていると思い、自宅で読書三昧と決め込んだ。

 と、言う訳で白鳩会総裁 ・ 谷口純子先生の最新刊書 『平和のレシピ』 を、二回三回と拝読した。拝読する中で 「いのちは連続している」 と題する次の記述に接して、しばらく思いが巡った・・・・・・、


 

 どんな人も色々な形で親の形質を受け継いでいる。 容貌が似ているだけでなく、性格や能力などもどこかに ″親の片鱗″ が感じられるものだ。 それが三百万年絶えることなく連綿と続いた結果、今の私があるのである。

 私の後にも、こうして私の形質を受け継いだ人が続く。 一世代だけでなく延々と続くのだ。 そう思えば、後続する命たちに愛しさを感じるとともに、彼らにいったい何を残してあげようか・・・・・・などと希望が胸に満ちてくる。 そして、私の存在もそのようにして、数限りない先祖の、目には見えない大きな力に支えられ、生かされていると分かるのだ。 その偉大なる命の連続に、私は感謝せずにはいられない。

            (同書 二十五頁)


 

 先祖に対する供養の心とは、この 「偉大なる命の連続に感謝する」 ことだと思う。 朝に夜に仏前に座る。 とりわけ一家の主が仏前に座り、一日の出発に際して又今日の一日を大過なく過ごすことが出来た、そのことに対して先祖に感謝の御経を誦げる。


 

仏壇で我はここぞと紫蘭かな


 

 繰り返される日々の生活であっても、このことを続けること、そのことが 「偉大なる命の連続に感謝する」 実践であり、またこのような日々を過せることそのこと自体が、実は幸せに恵まれている事なのだと思う。

 この様な中、今年も八月の宇治宝蔵神社盂蘭盆供養大祭が近づいてくる。 年毎に繰り返される行事であっても、この行事 「盂蘭盆供養大祭」 は、先に触れた 「偉大なる命の連続に感謝する」 と言う意味でも、別格の行事だと思う。

 この盂蘭盆供養大祭に際して、真新しい霊牌に一柱一柱、祖先の霊を心を込めて記載する。 実はこのことも 「偉大なる命の連続に感謝する」 ことである。 それ故にか、霊牌を記載しているとき、まるで 「異次元」 に在るかのような心境になることがある。 それは、先祖の命と自分の命とが触れ合い響き合って、命が通じ合っているのだと思う。

  『新版 魂のふるさと 宇治』 には、新しい霊牌に霊を招霊して祀る意義について、次の様にある・・・・・・・・・、


 

 霊牌にうつりませる霊たちの霊波は世の常の現象界の理の習ひにて月波の経つるにしたがひ褪ひ行くものにして古きを去り浄めて新しき進歩にいたる理にならひて霊浄めの聖域において過ぎし世よりなほ残れる業障の因縁などのこれるものあらば古き霊牌と共に浄火をもつて浄めんとするものにして過去の霊牌より新しき霊牌に移り行きて祀らるゝはみたまにとりては又一つの生れ更りを経験したまふと同じく浄化向上の機会なり

 ( 「送霊の詞」 より)


 

 日々、自宅での祖先供養で充分と心得ていても、霊にとっては一層高い霊層への浄化の過程があるとすれば、 「盂蘭盆供養大祭」 は祖先の霊にとって何にも増して大切な機会であるはず。

 先祖から命のバトンを受けたのが現世代を生きる吾々一人ひとり。 故に、人それぞれに祖先がある。 厳然たる事実である。 それ故に各自、一人一人が 「施主」 として霊牌を浄書し祖先を供養する必要があるのである。