【今月の教化部長の言葉】平成27年1月

 

光の新生活へ

 

教化部長 濵山正幸

 

合掌、ありがとうございます。

 平成二十七年の新しき年を迎え、生長の家総裁 ・ 谷口雅宣先生、白鳩会総裁 ・ 谷口純子先生に心からの感謝とともに、謹んで新年の御挨拶を申し上げます。

 さらには、吾が生長の家愛知教区の発展のため、挺身 ・ 致心 ・ 献資の真心を捧げてくださっております皆様とそのご家族に対し、新年のご挨拶を申し上げ益々の御健勝と御多幸をお祈りさせていただきます。


 さて、新たな年の第一歩を歩み出すにあたり、どのような心定めをすべきか。 このような思いでいるとき 「一回一回が仕始めで仕納め」 つまり、毎回、新しい気持ちで取り組みこれが最後だと心して、一日一日を丁寧に生きる。 そのような内容の文章に出会いましたので紹介したいと思います。

 それは、現在ノートルダム清心学園理事長を務める渡辺和子さんの 『面倒だから、しよう』  (幻冬舎刊) と題する書籍の中にあった記述です。 このようにあります・・・・・・、


 

  江戸時代、堺の町に吉兵衛という人がいました。 商売も繁昌していたのですが、妻が寝たきりの病人になってしまいました。

  使用人も多くいたのにもかかわらず、吉兵衛は、妻の下の世話を他人には任せず、忙しい仕事の合間を縫って、してやっていました。 周囲の人がいいました。  「よく飽きもせず、なさっていますね。 お疲れでしょう」 それに対し、吉兵衛は、こう答えたといわれています。  「何をおっしゃいます。 一回一回が仕始めで、仕納めでございます」 

(同書 十九頁)


 

 その都度が、一回一回が、即ち 「仕始めで仕納め」 との心定め、私たち生長の家を信仰する者にも見習う処があると思います。

 前生長の家総裁 ・ 谷口清超大聖師は御著書 『伸びゆく日々の言葉』 の中で 「新生の第一歩」 と題して、次のようにご教示になっています・・・・・・、


 

  新生の第一歩が始まった。 人は毎年生れ変るのである。 何故なら、以前と同じ生き方をしても、意味がないからである。 昨年と同じことが又繰返されるならば、その一年間は無意味だったことになる。 人生は断じて無意味ではなく、一日一日が有意義である。 それ故一年たつと、全てが一新する。 そしてより一層内在の神性 ・ 仏性が顕在する。  (後略)

(同書 二〇頁)


 

 あらゆる生命の営みには一刻といえども停滞はありません。 中でも大生命のいのちを戴いて生きる 「神の子 ・ 人間」 の日々は、常に躍動感に溢れた溌剌としたものでありたいと思います。 この意味でも、年の初めにシッカリとした心定めを持って 「光の新生活」 へ向かいたいものです。


 

  初日の出日記に記す決意かな


 

 その心定めの絶好の機会として、お勧めしたいのが練成会であります。 中でも、長年に亘って愛知教区の教勢発展に多大の貢献をしてきた 「三河練成会」 の会場は、昨秋から全席が立机と椅子席になりました。 正座のキツイ方には、足への負担を気にすることなく受講していただくことができます。

 またさらには、平成十九年から教化部会館で 「龍宮一泊見真会」 が開催されて来ましたが、平成二十七年一月を期して二泊三日間の練成会へと生まれ変わります。

 これによって愛知県の東部地域、豊橋から岡崎に至る三河エリア、さらには名古屋 ・ 尾張全地域をカバーする三会場同時開催の練成会によって、 「神性開発」 のネットワークが整いました。 新年を期して開催される三会場の練成会、是非ご参加をとお勧め致します。