【今月の教化部長の言葉】平成26年10月

   「錬」ではなく「練」


         教化部長 濵山正幸


 連日の猛暑から解放されて、ようやく朝夕凌ぎやすくなって来ました。皆様には、この夏をお元気に過ごされたものと思います。


 ところで時の移ろいは早いもので、愛知教区に着任して半年。この間、皆様には格別のご理解とご賛同をいただき、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

 さてこのような中、御教えを学ぶ「求道」の機運が県下一円に、大きなウネリを伴って熱く燃え上がって参りました。

 その端的な証として、愛知県教化部を会場とする「愛知龍宮一泊見真会」、三河道場を会場とする「三河短期練成会」さらには豊橋道場を会場として開催している「豊橋短期練成会」、これらの見真会・練成会に月を重ねる毎に参加者が増加しています。

 皆様の篤い「信仰心」を全心身に感じながら、愛知教区教化部長として一層の精進をと心しております。

 さて皆さん、生長の家の練成会では「練」の字を使い「錬成会」と言わないのは、どうしてかご存知でしょうか。これには重要な意味があって、このことを知ってから練成会に対する処し方が変わりました。

 そのきっかけとなったのは、生長の家本部練成道場編『神性開発』なる書籍を読んだことによります。この中に『「練成会」とは如何なるものか』と題する、故徳久克己先生の記述がありこの文章を拝読したことが機縁となったのであります。このように書かれています………、


 「錬成会」ではなく、「練成会」という名 称を谷口雅春先生がつけられ、なお、その上に「神性開発」とつけられたことは、とても意義深いことだといつも思っております。

  錬という字は、鍛えるという意味がありますが、練という字は、ねる、という意味 であります。最初は「錬成会」という字をかいて先生におだししましたら、先生は「錬」という字を「練」という字に訂正してくださいました。私は、あまり深く考えもしませんでしたが、練成会をくりかえし おこなっているうちに、だんだんと、先生が字を訂正されました深い意味がわかってきました。鍛えるという意味の中には、どうしても、悪いものを善くするという意味が、潜んでいるように考えられます。

            (同書 六十七頁)

                   

 言うまでもなく、生長の家の御教えの中核となるのは、人間は「神の子」であるとの真理です。その神の子本来の善性が現れていないがために、悪という不完全な姿が仮に一時的な姿をもって現れている。練成会では、その不完全にして悪なる姿を善に変えるのではなく、神の子本来の善性を練り練りして善を現し出す「練」、即ち「神性開発」これが「練成会」なのであります。

 さらに次のように、徳久克己先生のご指導が続きます………、


 (前略)心がありがたいと思っているときに現れる仏だとか、感謝しているときのうまくいっている状態とか、そんなものだけでは本当のものを掴んでいないのですよ。心がどうあろうと、永遠に変わらない生命を吾々は掴んでゆく、そこまでいかなければ本物ではありません。 (前掲書 八十頁)


 この意味でも練成会への参加は、信徒の皆様自身の「信仰心」「信仰姿勢」を正しいもの揺るぎないものとする、必須の行事ではないかと思います。


    真っ直ぐに善をめざせと彼岸花


 せっかく生長の家の御教えに縁を得た訳ですから、本物の信仰を目指したいものです。