【今月の教化部長の言葉】令和5年5月

前後際断

教化部長 大塚 和富

 

 未だ愛知教区に赴任する前に、機関紙『大愛知』へ記載するための教化部長の原稿依頼があり、福岡教区において原稿作成しました。 

 

曹洞宗の開祖である道元禅師が説かれた「正法眼蔵」を解説され、『正法眼蔵を読む』上巻を発刊された前生長の家総裁・谷口清超先生のご文章から、「前後際断」の言葉が、今の自分には必要であると実感しました。 その〝前後際断〟について、谷口清超先生は次のように説かれています。

 

「ところが人は往々にして、実相と現象をごちゃまぜにするのである。 真我と偽我、「心」と心、「法」と万法とを混同し、わけのわからぬことをいう。 例えば現象の面をみると、(たきぎ)はやがて灰となるであろう。 ところが灰はもはや薪とはならぬ。 それ故、一般には薪が灰となったというが、本当はそうじゃないのだ。 灰はのち、薪はさきと見てはいけない。 薪は薪の姿にあらわれた仏の仮の現象あらわれであり、灰は灰の姿にあらわれた仏なのだ。夫々が完結していて、前後際断、宇宙一杯の独立の存在である。 どこにも依存してはいない。「仏」それ自体である。 その中にのち・・さき・・も、みな含まれている。 時間・空間をまきおさめた一点の実在(仏)がある。 それが薪とあらわれ、灰とあらわれる。(後略)」(『正法眼蔵を読む』上巻・114~115頁 現成公安案の巻より)

 

 

 

 

 大塚和富は3月31日までは福岡教区教化部長としてあらわれた「仏」、4月1日から愛知教区教化部長としてあらわれる「仏」して、前後際断することが重要であると認識しています。  福岡において光明化運動に取り組んだことに執着せず、愛知教区として新たに光明化運動に取り組む姿勢で「誠心」を尽くすことです。 過去において失敗したことや自己嫌悪したことなどに執着してくよくよすることは持越苦労です。 また、愛知教区でのこれから先に何が起こるか心配したり、恐怖したりすることは取越苦労です。 そのような心持ちではどちらも「今」を明るく楽しく光明化運動することはできません。 前後際断して心機一転、愛知教区の信徒・幹部の皆さまと、生長の家の御教えを深く学びつつ、神の子の自覚をより一層深め、そのままの心を大切に「他」に対して「愛」を表現することを実践する決意を新たにするものです。

 

谷口雅春大聖師と佐藤勝美氏共著『法華経解釈』に記載されている文章で、私が感銘を受け、心に銘記している次の言葉を紹介します。

 

 「自己が完全に生きるということは、他を生かすことである」

 

 私たちの人生は、神さまが創造された実相世界に在り続ける知恵、愛、生命や真・善・美を、現象世界に肉体を道具として使いコトバによって表現することであると教えられています。 コトバとは身・口・意であり、ひとり一人が神さまの御心を行ずることです。

 

谷口雅春先生は聖経『真理の吟唱』の祈りの言葉の中で、「私たちはただ、心の迷いを払い去り、自己限定の雲を吹きはらって、実相の裕かさの光を照りかがやかすようにすればよいのである。 迷いの雲を吹き払うには、〝真理の言葉〟を語ればよいのである。 〝真理の言葉〟とは、実相を語る言葉である。 人間は〝神の子〟であり、すでに実相においては裕かなのであるから、その裕かさを常に語って、「自分は貧しい」などという〝迷いの思い〟を打ち消して、人類のために、自分のできるだけの愛行を実践するようにすればよいのである。(150頁)」

 

 教化部長として常に実相を語る言葉を表現できるよう日々精進努力する「仏」であるよう自分に言い聞かせ、4月からの新たな使命に邁進する決意です。